第30回天文文化研究会案内(2021年11月26日)

長野県内の同好会の歴史について。
11月13日に行った宇宙県合同ミーティングの前に、
長野県内の同好会に、会の歴史に関するアンケートに答えてもらいました。
この回答結果の概要について紹介。

—–以下、陶山メモ——

〇各同好会の歴史報告と議論
・アマ天研究会の存在
・松本星の会も大事そう。
・流星ネットワークの存在

〇浮かんだ疑問
・観察会が発足の契機となった同好会が多いが、当時の観察会はどんな形態だったか。どういう風に依頼が来て、どのように実施していたか。
・70年代当時から同好会同士、天文家同士のつながりがあったみたいだが、どのようにしてつながっていたのか。天文現象がきっかけ?
・普及と観測、どっちに力を入れていた?そういう意識はない。現在の同好会との違い。ライトな人が増えた?諏訪天のように「各人が観測を続けるのが条件で、一芸に秀でていなくては会に入れない」みたいなことはない?

〇個人に聞くのも大事
・今回は同好会に聞いたが、個人が誰に、何に影響を受けて、天文ファンになったか?観測を始めたか?同好会を始めたか?は知りたい。
・あとは、60~80年代の天文ファン同士のつながりがどんなものだったか。みんなで思い出話をするのもいいかも。

〇その他同好会の歴史関係で出た話題
・1965年、池谷関彗星の到来が大きかった。天文雑誌が刊行された。彗星探しと写真撮影がアマチュア天文家の中で盛り上がった。
・1972年、ジャコビニ流星群の観測が話題になった(不発だったけど…)。星空を守る会でライトダウンをお願いした。
・日本流星会議、木星会議など全国レベルの勉強会。山本一清さんが指導者。その後を継いだのは、多分、村山さん。大阪の長谷川一郎さんも指導者。
・1957年の国際地球観測年もきっかけの一つ。同年、ムーンウォッチ計画。諏訪は城南小学校に人工衛星観測所を設置して1960~64年に参加。
・ 畑さんの「信州の星空」から必要な情報を抜き取る。
・今回は同好会に聞いたが、個人が誰に、何に影響を受けて、天文ファンになったか?観測を始めたか?同好会を始めたか?は知りたい。
・あとは、60~80年代の天文ファン同士のつながりがどんなものだったか。みんなで思い出話をするのもいいかも。オンライン座談会(飲み会?)みたいなものをする?
・同好会のみなさん(なが天)に、同好会の歴史をまとめてもらう?諏訪天文同好会100周年へ向けた活動への同好会の関わり方の一つとして。
・諏訪天文同好会までたどれるといいけど、難しい?先生同士の同好会からたどれる?
・アマ天の参加者をたどる。長野県内の人物。
・個人を探っていく。活動の軸は、観察会or観測だったかも大事。
・時代が進むにつれて、プロとアマが分断されていく?公開天文台の設立は教育普及目的?50年代にできたものは、市民との距離が近い。札幌、富山、仙台など。天文同好会との結びつきが強い。80~90年代は、各地に観測に耐えうる大望遠鏡が設立された。田舎の観光目的。ふるさと創生を利用したものが多い。
・星を見て楽しむこと(観察会など)がいつ市民権を得たか?
・変光星観測などは、長い間、アマが活躍できた。
・同好会の歴史については百周年の時点でいったんまとめる。今、活動している人たち(なが天)からわかることを整理する。
・同好会の会員など(個人)に同好会を作る、または、参加した理由は何か?全国的な事?長野県ならではのこと?個人レベルでは、五味さんや青木さんとのつながりは結構ありそう。
・各同好会の歴史をまとめてもらう。天文現象がとっかかりになる。○○彗星とか、火星大接近とか…。誰かを呼んで講演会をしたとかエピソードも入れる。それぞれ違う形ができても気にせず、まずはつくってもらう。後ですり合わせをしながら、少しずつ更新していけばいい。何か形になる方が、協力するモチベーションが上がる。何か刊行する。「日本アマチュア天文史」、「信州の星空」の後の情報がまとまってないので、そこを整理する。信州の天文活動についてまとめる。