第21回天文文化研究会(2021年06月04日)

〇「市民科学・オープンサイエンス1」(野澤聡)

市民科学とオープンサイエンスについて丁寧に解説していただきました。当日、出た議論を列挙します。例によってまとまってません(笑)。

〇「市民科学」と「オープンサイエンス」全般について

・「市民科学」と「オープンサイエンス」という概念はまだ成熟していない。概念を育てる必要がある。

・「市民科学」は、現代の「制度化された科学」に対しての言葉。

・オープンサイエンスは、オンラインツールの普及と密接に関係している。

・以下はこの研究会の活動の参考になるかも↓佐々木宏展,大西亘,大澤剛士「“市民科学”が持つ意義を多様な視点から再考する」『保全生態学研究』21巻2号(2016年)243-248頁:

・在野の研究者という言葉もある。在野の研究者は、個人でできるが、市民科学は、集団でやる。

〇諏訪天文同好会や長野県の理科教育について

・三澤の活躍した時代=科学技術政策が登場した時代

・青木さんの星空を守る会はまさに「市民科学」

・今の市民科学は、専門家がお膳立てしているものが多い。

・三澤さんたちがなぜ在野の研究者に慣れたのか。その要因は何か?環境?地域差や文化の違いもあるかも?

第20回天文文化研究会(2021年05月21日)

〇「信州の近代教育について」(渡辺真由子)

大正9(1920)年、山本一清が長野で講演を行っている。この講演が諏訪天文同好会の発足や三澤の太陽観測のはじまりの原因となったと考えられる。この山本の講演が行われたのは、当時の理科教科書に天文の項目が入ることが理由と考えられるが、その詳細はまだよくわかっていない。(私たちが知らないだけかもしれませんが…)渡辺さんに、この時期の信州教育について話題提供してもらいます。みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。

〇「信州近代の教師群像」「信州近代の教師群像続編」「信州教育とはなにか」が参考になる。

・信州教育の三大恩人:・永山盛輝(鹿児島):筑摩県令・2代目長野師範学校校長:能勢栄(江戸)・4代目長野師範学校校長:浅岡一(二本松)(渡辺敏の弟)1882(明治15)年:規則改訂信州教育が称賛されるのは、明治30年代頃在野の研究者と大学の研究者がどうやって結びついたか。

〇三澤勝衛に影響を与えた人物

・池内精一郎:三沢の友人

・中島錦太郎:水内高等小学校校長

・藤田道雄:三沢の友人。開智学校同僚

・保科百助:臼田時代に接点あり。

〇三澤が諏訪に来る以前にどんな授業をしていたか。

〇三澤に関する資料はたくさんあるが、回想録が多く、不確かかも?

新聞記事を見ると、山本の講演日程などがわかる1920年の講演は本当?

1921年じゃない?

〇1次史料に近づく・諏訪の理科教科書を調べる。

・当時の新聞を調べる。

・新聞記事をまとめる。

調べるべきことをリストアップして、分割して、みんなにふれるといい。

第19回天文文化研究会(2021年04月28日)

これからの天文文化研究会の活動について
科学史研究者である、野澤聡さんに
天文文化研究会の話を聞いてもらって、
コメント等もらおうと思っています。
研究会で進めている調査研究の意義や
今後、どんな活動をしていくかを
議論したいと思います。
新しく入られた方や、最近参加してない方もお気軽にご参加ください。
これまでの状況やこれからの事について話をするので、
いい機会かと思います。