第55回天文文化研究会(2023年6月9日)

案内

「変光星観測者会議2023について」(大西拓一郎さん)
7月22-23日に行われる変光星観測者会議について紹介します。

「アマチュア天文家と金子功」(栗山究さん)
茅野市の市民研究員をされている栗山さんにお話をお願いしました。
市民研究員の会合で発表されたいた内容がとてもおもしろかったので、
その話をしていただきます。
金子式プラネタリウムの製作などで有名な金子功とアマチュア天文家のつながりや地域博物館論との関係などについて紹介していただきます。

議事録

・7月の変光星観測者会議について
大西拓一郎さんから、講演会と変光星観測者会議について紹介がありました。
詳細は以下の市民科学プロジェクトHPをご覧ください。
https://shiminkagaku-pj.org/lecture/lecture-419/

・金子功とアマチュア天文家のつながりについて
茅野市の市民研究員をされている栗山さんにお話をお願いしました。
金子式プラネタリウムの製作などで有名な金子功とアマチュア天文家のつながりや地域博物館論との関係などについて紹介していただきました。
奥村さんや小林さんからも情報提供があり、活発な議論ができました。

第54回天文文化研究会(2023年5月26日)

案内

今年開催予定の展示や資料整理など、現在の進捗について陶山が把握している範囲でお話しします。
4月に参加した茅野市八ヶ岳総合博物館の市民研究員の会合の様子なども報告しようと思います。
陶山からはそれほど話すことがなさそうなので、
他の方も何かあれば簡単で構いませんので、是非、御報告お願いします。

議事録

基本、ずっと雑談でした。以下、その中のトピックスをいくつか抜き出します。

・茅野市八ヶ岳総合博物館の市民研究員への呼びかけ
陶山が市民研究員の会合に参加して、茅野の資料の資料整理や調査の呼びかけをしました。
個人的な印象では、割と一緒にやってくれそうな感じがしました。
どうやって具体的に軌道に乗せていくかを相談する必要があります。
5月の会合では、夏の企画展(変光星と太陽)の展示準備も踏まえて
資料をみんなで見ようという話も出ました。

・市民科学の事
市民科学という言葉はやっぱり難しい。
興味や立場によって定義が違う。
私たちがどういうふうな市民科学を思い描くかを踏まえて、自分たちなりの定義を示す必要はある。
いろんなものを包括できるような形にしたい。
e-birdのように研究者がリーダーとして引っ張っていくもの、
塩尻星の会の光害調査のように市民が主体的にやっていくもの、
科学研究でなくても、観察会や講座など普及活動をしているもの、
など、本当にいろんな活動があるが、これらを排除するのではなく、
包括できるといいのではないか。

第53回天文文化研究会(2023年4月14日)

案内

現在、ノーアイデアです。アイデア大募集中です。
最近調べている、江戸時代の絵図や測量について話題提供しようかなと思います(天文と関係が薄いですが、少しいつもと違う雰囲気の話もいいかなと)。

議事録

大西拓一郎さんからVSOLJの変光星観測データについて報告
VSOLJデータを見ると、五味さんの観測報告が少なすぎるように思える。
1925年~1988年で、6278
ちなみに五味さんの野帳は24冊。おおよそ1ページに10行、1冊30頁くらい。

河西さんも少ないような気がする。
1918年から1937年で、2957。
学友会によると、冠座Rからはじめたと書いている。
天文月報とVSOJデータを比較するといいかも。
ちなみに、古畑さんの観測報告は9700。

第52回天文文化研究会(2023年3月31日)

案内

3月19日の茅野市八ヶ岳総合博物館の資料調査の報告をしようと思います。
時間があれば、京都大学花山天文台の資料調査の報告もします。
それを踏まえて、今後の資料整理や調査の進め方を話し合いたいと思います。

最近話し合いばかりなので、勉強会もしたいですね。
何か案があれば、是非お気軽にご提案ください。
変光星や太陽の話を天文文化だけでなく宇宙県全体に向けて
勉強会するのもよさそうですね。
仲間を増やすきっかけになると嬉しいです。

議事録

五味資料は、星図や書簡の他、『アマチュア天文史』執筆時の資料と思われるものもあるので、詳しく見ていくとおもしろそう。ただ、資料調査や整理を楽しむには、少し勉強が必要になりそう。

 出てくる人たちの関係性や諏訪天文同好会などアマチュア天文家の名前がわからないとおもしろくないかも。

 変光星のタイプ。それぞれの変光の特徴、メカニズム、観測の意義がわかっていた方がいい。なぜ、その星を観測するのかを知っておく。

 資料を扱うときの注意。資料整理の意義。

第51回天文文化研究会(2023年3月3日)

案内

前回(2月10日)に、茅野市八ヶ岳総合博物館収蔵資料の調査についてお話ししましたが、その具体的な話をしたいと思います。
特に五味資料は、全貌もつかめてきているので、詳細に調べることが可能な段階にあると思います。
これをそれぞれの興味で深堀りしていくと、色んなことがわかって面白いんじゃないかと思っています。
まずは陶山から話題提供しますので、それについて話し合いたいと思います。
漠然とでもいいので、私はこれに興味があるというのをそれぞれあげてもらうと色々と広がりと深みが出て、楽しいかなと思っています。
みんなでワイワイ話しましょう。
どうぞよろしくお願いします。

議事録

茅野市八ヶ岳総合博物館収蔵資料の整理や調査について話し合いました。

第50回天文文化研究会(2023年2月10日、市民科学プロジェクト)

案内

来年度の主なテーマの一つは変光星です。

変光星観測を中心とした近代天文史料が茅野市八ヶ岳総合博物館に集まっています。

この資料群の整理や調査を市民科学的にみんなで進めていきたいと思っています。

こんなふうにできないかなという案を陶山から話しますので、

それを下敷きに具体的にどうやっていくかを話し合いたいと思います。

少しでも興味のある方はお気軽にご参加ください。

議事録

どんな興味をもって変光星を観測していたのかを知りたい。

特定の人物にフォーカスして、興味の変遷を追うとおもしろい。

目的を明確にして、天文の連続講座をする。

3~6か月かけて講座をする。

どれくらい声をかけるか?

第49回天文文化研究会(2023年1月17日、何でも報告会)

案内

最近、話題に上がることが多い「教育」について色々話ができればと思います。
これまで調べてきている諏訪天文同好会の発足にも理科教育の変遷が関わっている(と思われます)し、三澤勝衛の教育についても興味のある所です。
また、これまで調べてきたことや議論(雑談?)からは、先生たちの個人研究が市民科学を支えてきたといえるように思います。

そして、信濃教育博物館や諏訪教育会にも調べるとおもしろそうな資料がたくさんありそうなので、みんなで資料を調べていくのも楽しそうです。
渡辺さんがやっているように、「夏の大三角」がいつから扱われているかとか具体的な教育内容の変遷を追うのもおもしろいかもしれません。

自分たちでやるのも必要ですが、現役、または、退職された先生たちと一緒に何かできたらいいなと思います。
ただ、僕には良いアイデアがないので、そのあたりみんなでアイデア出ししたいです。

議事録

・最近の学校における探求学習について。
Google検索で調べるだけになっている。

・理科教科書の変遷について
信濃教育会の人と協力しながら、信濃博物館に行って調べてみる。
夏の大三角が教科書にいつどこ経由で入ったか。
使われ方も知りたい。
北斗七星は明治からあった。

天界には、「信州の全学年の理科に天文が入った。」との記載がある。
誰が天文を持ち込んだのか?
長野県で全国に先駆けて取り上げたものがいくつかある。
・メンデルの法則(大正6年3月)
・レントゲン
監修者は誰?

長野県は、教科書がない時代の学習帳は、地域性が強く見られた。
国立教科書図書館
学習帳だからと言って、地域性が見られるわけではない。

信州教育で、ミムラヤスジさんは活躍していた?
ミムラヤスジは矢沢米三郎の弟。

信濃教育会で、国語の教科書が作られていた時は、
ニシオミノルさん(初代国語研究所)監修だった。

なぜ、長野県で独自の教科書をつくりはじめたのか。

生活科は、今でも信濃教育会でつくっている。

昭和28年頃に教科書の検定制度が厳しくなった。
それまでは、各都道府県で教科書がつくられていたと思われる。

デジタル教科書をつくるのが信濃教育会では難しくなってしまった。

現代の教科書と学習帳はどう違う?
現代の学習帳はワークブックみたいなもの。

教科書が収蔵されている所
・高島小学校にはたくさんある。
みんなで調べてみよう。

県内各地に10個くらいの教育会がある。
その教育会ごとに会館があって、そこには何かしら資料がある。

下伊那会館には、学科ごとの研究室がある。

星図を比べてみる。
星座線のつなぎ方とか追いかけてみるとおもしろそう。

・夏の大三角について
Wikiによると、
夏の大三角という呼び名は、1950年代からイギリスの天文普及家サー・パトリック・ムーア (Sir Patrick Moore) が使うようになってから一般的にも知られるようになったものである。ただし、ムーアによって創案されたものではなく、オーストリアの天文学者オスヴァルト・トーマス (Oswald Thomas) によって1920年代に “Grosses Dreieck” (ドイツ語で「大きな三角形」の意)と記述されており、トーマスはまた1934年には “Sommerliches Dreieck” (ドイツ語で「夏の三角形」の意)と記述していた。

それ以前にも、オーストリアの天文学者ヨセフ・リットロウ (Joseph Johann von Littrow) は、1866年に出版した星図[2]の本文において 「よく目につく三角形」 と説明していた。また、3つの星を最初に繋いだのはドイツの天文学者ヨハン・ボーデで、1816年に出版した書物の中の星図においてであったとされる。ただしボーデは、星と星とをつないだものの、それに対してなんら名称は与えていなかった。

1776年にフランスの球儀製作者ジャン・フォルタン (Jean Nicolas Fortin)[3] がパリで出版した 『フラムスティード星図』 の第2版[4]では、3星のうちベガとアルタイルしか結ばれていない[5]。当時、デネブは「最も明るい一群の星」すなわち1等星にランクされていなかった。なお、『アルマゲスト』所収の「プトレマイオスの星表」では、アルタイルも2等星だった[6]。
らしい。

ちなみに、スーパームーンのはじまりはNASAの広報。
wether newsも大きな影響を与えているかも?
星ナビも?